シニア世代は、親の介護問題があり、避けることはできません。
健康で働き者の両親でした。畑で自家用の野菜を作ったりして、家の事は2人で全てやってくれていました。
両親と実家暮らしでしたが、独身なので自分の事だけ考えて暮らしていたのです。
3~4年前までは・・
親が歳を取ることを、深くは考えていませんでした。
介護認定と介護保険を使う
母は、父と協力して家事もやっていましたが、
最近は足腰が弱くなり弱音や愚痴をこぼすようになりました。
「もっとしっかりしなきゃダメだよ!」
「自分でやらないと動けなくなっちゃうよ!」
励ますつもりで言っていましたが、
「親の老いの問題」を現実として実感し始めました。
かかりつけの病院に連れて行った時のことです。
昔のように歩けなくなった母を見て医師が聞いたのでした。
「デイサービスに通ってないの?」
医師の両親(他界)は、デイサービスに通っていたそうです。
医師の言葉で、初めて「介護保険」に気づいたのです。
介護保険料は支払っていましたが、使うことは無いと思っていました。
支払うだけで損をしているような感覚すらありました。
介護保険制度は、市区町村が保険者となって運営しています。
市役所の介護保険の手引きより引用
40歳以上のみなさんは、加入者(被保険者)となって保険料を納め、介護が必要となったときには、費用の一部を支払ってサービスを利用できるしくみです。
早速、市役所に相談をしてみました。
最初に本人の状態を見るために「介護認定」を受けます。
「要支援1・2」「要介護1~5」の7段階に区分されています。
結果は「要支援2」。軽い方から2番目です。
デイサービスだと週に2回通うことが可能です。
市役所から「ケアマネージャー」を紹介してくれます。
ケアマネージャーと相談して「デイサービス」と契約を交わしました。
在宅での訪問ヘルパーは考えていませんでした。
自宅に他人がくるのは嫌だったからです。
自宅近くにあるデイサービスに通うことに決まりました。
個人の自宅で経営している、定員8名の家族的なデイサービスです。
乗り気でない母を無理やり説得させました。
介護保険は区分により支給限度額(使える金額)が決まります。
母の負担額は1割(食費は実費)。1ヶ月の支払額は、1万円程で済みます。
介護保険を使用する立場になり、初めて「有難み」が分かったのでした。
介護保険制度が出来たのは、2000年です。
20年程しか経っていません。
それ以前は、家族が介護を担っていた訳ですが、簡単なことではありません。
一緒に居れば、母にきつく当たってしまう私でした。
そんな自分に対して自己嫌悪に陥いる。その繰り返しでした。
このままでは母も私もダメになる・・
デイサービスに通うことで少しでも元気になれば良いと期待したのです。
88歳でデイサービスに通い始めた母です。生活にもメリハリが出てきました。
入所を決めて正解だと安堵しました。
デイサービスでは、全てヘルパーさんがやってくれます。
自宅では自分1人でやるのです。
家の中も杖を使って歩くようになっていました。
歩行器の方が安定があるのですが狭くて無理だったのです。
89歳になった冬のある日・・
母が自宅で転んだのです。
リビングの床に尻もちをついたようでした。
圧迫骨折で入院
私が自宅に戻ったのは、夜の6時半頃でした。
母を起こそうとしたのですが痛がって無理でした。
その為に救急車を呼んだのです。
診断は「圧迫骨折」。そのまま入院となりました。
治療法はコルセットで固定して骨がくっつくのを待つのです。
完治までの期間(入院)は2~3カ月との説明でした。
圧迫骨折(あっぱくこっせつ)とは、外傷や椎骨の弱まりによる椎骨の崩壊のこと。
椎骨の弱まりは骨粗鬆症や骨形成不全の患者、原発もしくは転移性骨腫瘍、感染による。
X線撮影では、くさび形に変形して見える。健康な人の場合は、射出座席のような垂直的な圧力がかかった場合に起こる。
wikipediaより引用
高齢者に起こる圧迫骨折の殆どが骨粗鬆症に起因しており、胸椎と腰椎の移行部の椎体に生じやすく、くしゃみや腰をひねっただけ、尻もちなどの軽微な外力によって生じる。
コロナ禍ということもあり、面会は出来ませんでした。
3週間ほど過ぎた頃・・
病院から病状の説明のために呼び出され、その際に1度だけ会わせてくれました。
久々に会う母は痩せたようでした。
その姿を見て、たまらなく不憫になりました。
医師から退院後のことを決めておくように言われました。
高齢者は入院前の状態に戻らない場合が多い。と伝えられました。
自力歩行が無理になるかも知れないのです。
自宅に戻る場合⇒母が暮らしやすいよう自宅を改装をする
施設に入居する場合⇒施設を探す
どちらかを選択しなければいけません。
サービス付き高齢者向け住宅「サ高住」
入院の為「介護認定」が変更になりました。
「要支援2」⇒「要介護5」
「要介護3」以上は「特別養護老人ホーム(特養)」に入居できます。
(空きが無いため入居に半年以上かかる場合もあるのです)
「特養」の入居は望んでいませんでした。(費用の面では助かりますが)
ケアマネージャーに相談をすると、
「サ高住」(さこうじゅう)という施設を紹介してくれたのです。
初めて聞く名前でした。
サービス付き高齢者向け住宅とは、日本において、高齢者住まい法の基準により登録される、介護・医療と連携し、高齢者の安心を支えるサービスを提供する、バリアフリー構造の住宅。
wikipediaより引用
「サ高住」(さこうじゅう)と略して呼ばれることが多い。また、権利関係は賃貸借方式が一般的である。
施設を選ぶ基準にしたこと
↓
母が楽しく幸せだと思える居心地の良い施設。
人数が少ないアットホームな施設
後日、ケアマネージャーが下見に連れて行ってくれました。
定員10名程の高齢者専用アパートでした。
そこの1部屋を借りるのです。
1階のリビングはデイサービスになっていますが当日は休みでした。
2~3人の高齢の女性がリビングで雑談をしていました。
穏やかな空気が流れていて、温かな雰囲気でした。
近くに海がある地域でした。
ビジネスライクな経営者を想像していたのですが、気さくな方でした。
説明を聞き終わり、部屋に案内してくれました。
24時間見守ってくれるので家にいるより安心できます。
ここなら母に合うはず。楽しくやっていけそう・・
その場で入居を決めました。
退院後は直接「サ高住」に入居することに決まりました。
退院⇒「サ高住」入居へ
退院の日、ケアマネージャー・助手・私の3人で病院に出かけました。
ケアマネージャーと助手が、母を車に乗せてくれました。
母は車イスを使っていたのです。自力で歩くのは無理なようでした。
病院の看護師達に見送られながら、「サ高住」に向かったのです。
母は状況を把握していない様でしたが、意外にも元気でした。
母が変わって(痴呆)しまったらどうしよう?
そんな心配をしていたのですが以前と変わらない様子にほっとしました。
ケアマネージャーも同じことを言っていました。
20分ほどで到着しました。
部屋にはベッド・家具・冷蔵庫等が完備されています。
衣類と寝具は事前に運んであり、整理してくれてありました。
母は戸惑っているようでしたが、嫌ではなさそうです。
スタッフが話しかけると「少しづつ慣れていくよ。」返事をしていました。
その日から母は「サ高住」の住人になりました。(住民票も変更しました)
一段落がつき、私達は帰路につきました。
1ヶ月後に請求が発生します。
母の様子を見ながら支払いにいくことにしました。
入居生活の始まり
始めて支払いの日です。
母はリビングで友達と一緒でした。デイサービスは休みでした。
友達に私を「うちの娘です」そう言って紹介してくれたのです。
スタッフの責任者が対応してくれ、母の様子を話してくれました。
少しづつ慣れてきたようで安心しました。
母は、真面目な気質で心配性です。慣れるのに時間がかかるタイプです。
意外に社交的なところも持ち合わせているので、慣れれば大丈夫なはず。
笑顔の母を見て嬉しくなりました。
母からメモ紙を渡されましたが、何気なくバッグに入れておきました。
家に戻り、メモに気が付きました。
「いつ、迎えにくる?」・・そう書いてありました。
涙がこぼれてきました。
そうなのです・・何があろうと自分の家に勝るものはありませんから。
入院するまでの母は、日中は家で父と2人でした。
耳の遠くなった父との会話は、殆どありません。
元気な頃には考えられない程、怒りっぽくなった父です。
そんな自分に歯がゆいのでしょう。母に怒りをぶつけていました。
父に怒られ、いつも暗い表情をしていました。
私も(余裕がなく)母にやさしくできませんでした。
そんな状態で家にいても母が幸せだとも思えませんでした。
施設なら友達もいるし世話もしてくれます。
だから・・悩んで考えて、入居を決めたのです。
入居してからの今
母が入居して7カ月が過ぎました。
入居したばかりの頃とは表情も違います。
母は農家の3姉妹の長女に生まれました。母が家を継ぎました。
生まれてから一度も実家を離れたことはありません。
実家を継ぐ・守る。その使命感や責任感がありました。
高齢になり自宅を離れることになるとは、自分でも想像もしなかったでしょう。
今でも家の事を心配しているそうです。
私のこと・自分の妹たちのこと・自宅のこと・・
母らしいなと思います。
会いにいくと、私は必ず言います。
お母さんが楽しければいいんだよ。
家の事はちゃんとやっているから大丈夫だよ。
母は笑顔でうなずきます。
あんなに厳しかった母なのに、歳を取ると可愛くなりました。
(女性は皆そうだと感じます)
ウキウキするように、服も明るい色や可愛いものを選んでいます。
明るい色は母によく似合うのです。
90歳の誕生日を皆にお祝いをしてもらったそうです。
これまでの人生で一度も無かったことです。
請求書と一緒に、嬉しそうなの母の写真が同封されていました。
母が家にいた時は、私の予定を立てられないことがありました。
いつも心の奥に、母のことが気がかりだったからです。
今はそういうことも無く精神的に楽になりました。
「サ高住」に入居して良かったと思っています。
家族に代わって母を看てくれているのです。
スタッフは母を大切にフレンドリーに接してくれます。
本当に本当に感謝しています。
毎日楽しく過ごし、もっともっと長生きして欲しい。
そう願っているのです。